あかるく、げんきよく
2005年3月28日 映画
最近は、親会社から依頼されたものを、協力会社の方や他のメンバー(同期含む)に依頼(○投げ)して業務を回していく作業が多くなった。ほとんど生産性0。あまりにもプログラムを書かないので、空き時間を見つけては配属直後に書いたテストプログラムを改造したりしている。あまりおもろない。
依頼した作業が上がってくるまでは暇なので、他の同期が書いている月報を読んだりして過ごした。うちの会社は大きくSE・開発(・サポート?)に分かれている。同期の半分がSEになっている(私は開発)。SEの月報には、様々な修羅場が詳細に描かれていて、読んでて面白いものがある。顧客と接するだけあって、門外漢の我々が読んでも分かりやすいし(逆にうちらの月報は、同じ開発でも違う部署の同期が読むと?な内容になっているし。←暗号っぽい)。
中には読んでいてマジで心配になってくる月報もある。デスマではないんだけど、本当に読んでいて惨めな気分になる。それが、タイトルにある「あかるく、げんきよく」。
その同期(♀)は、かなり優秀。某有名大卒で、研修で受験したオラクルシルバーも満点で合格した。ただ、内向的なので、気心知れていない人とはあまり話さない。
それに対して、SEの職場の雰囲気は賑やからしい。開発からは想像もできないような実態らしい。勤務時間中に私語でわいわい騒ぐのは日常茶飯事(←開発は私語などしようものなら咳の嵐)。顧客に情報セキュリティを提案している割には自社内のセキュリティ(広い意味で)なんてあったもんじゃない…。きっと今までの彼女の人生には考えられなかったような世界が繰り広げられているのだと思う。
そんな中で、常に彼女の月報にコメントとして書かれるのは、「あかるく、げんきよく」。私はふと疑問に思った。配属して2、3ヶ月ならまだしも、もうじき2年目になろうとしている人に向けて発すべき言葉なんだろうか…。
トレーナー(教育係)も、上司(課長)も、「あかるく、げんきよく」。毎回のようにずっと書き続けているが、彼女の性質を慮ることはできないのだろうか。月報から察するに、彼女はかなり自分を責めている。読んでいて、かなり危険なんじゃないかと思う。来年の今頃まで残っていることができるのか気になる(←自分が先に辞めてたりして)。
ふと先日見た「ゴーストワールド」を思い起こした。世間の人は「理想的な良い人」を求め、その"普遍的な"像を暗に他人に要求する。特異点は徹底的に嫌われ、避けられ、あるいは無視される。無視されているほうは捻くれるか、あるいはその"普遍的な"像に無理に自分を当てはめようとする。その結果、世界または自分、あるいはその両方を見失ってしまう。
映画では主人公は旅に出てしまった(自殺以外の方法で、自分で自分の存在を消した)。我々にはその前に何か映画の中の彼女に対してできることがあったのかもしれない。いや、ないだろう。「彼女に対してできること」を模索すること自体、作者は禁じているような気がしてならない。
…いろいろ長々と書いてすみません。
依頼した作業が上がってくるまでは暇なので、他の同期が書いている月報を読んだりして過ごした。うちの会社は大きくSE・開発(・サポート?)に分かれている。同期の半分がSEになっている(私は開発)。SEの月報には、様々な修羅場が詳細に描かれていて、読んでて面白いものがある。顧客と接するだけあって、門外漢の我々が読んでも分かりやすいし(逆にうちらの月報は、同じ開発でも違う部署の同期が読むと?な内容になっているし。←暗号っぽい)。
中には読んでいてマジで心配になってくる月報もある。デスマではないんだけど、本当に読んでいて惨めな気分になる。それが、タイトルにある「あかるく、げんきよく」。
その同期(♀)は、かなり優秀。某有名大卒で、研修で受験したオラクルシルバーも満点で合格した。ただ、内向的なので、気心知れていない人とはあまり話さない。
それに対して、SEの職場の雰囲気は賑やからしい。開発からは想像もできないような実態らしい。勤務時間中に私語でわいわい騒ぐのは日常茶飯事(←開発は私語などしようものなら咳の嵐)。顧客に情報セキュリティを提案している割には自社内のセキュリティ(広い意味で)なんてあったもんじゃない…。きっと今までの彼女の人生には考えられなかったような世界が繰り広げられているのだと思う。
そんな中で、常に彼女の月報にコメントとして書かれるのは、「あかるく、げんきよく」。私はふと疑問に思った。配属して2、3ヶ月ならまだしも、もうじき2年目になろうとしている人に向けて発すべき言葉なんだろうか…。
トレーナー(教育係)も、上司(課長)も、「あかるく、げんきよく」。毎回のようにずっと書き続けているが、彼女の性質を慮ることはできないのだろうか。月報から察するに、彼女はかなり自分を責めている。読んでいて、かなり危険なんじゃないかと思う。来年の今頃まで残っていることができるのか気になる(←自分が先に辞めてたりして)。
ふと先日見た「ゴーストワールド」を思い起こした。世間の人は「理想的な良い人」を求め、その"普遍的な"像を暗に他人に要求する。特異点は徹底的に嫌われ、避けられ、あるいは無視される。無視されているほうは捻くれるか、あるいはその"普遍的な"像に無理に自分を当てはめようとする。その結果、世界または自分、あるいはその両方を見失ってしまう。
映画では主人公は旅に出てしまった(自殺以外の方法で、自分で自分の存在を消した)。我々にはその前に何か映画の中の彼女に対してできることがあったのかもしれない。いや、ないだろう。「彼女に対してできること」を模索すること自体、作者は禁じているような気がしてならない。
…いろいろ長々と書いてすみません。